私は網膜色素変性症という眼病で、重度の視野狭窄です。車の運転は7年前に諦め、以来歩く事が苦にならない今でも、人の多い場所や知らない場所に行く時は白杖を持って行動します。今回の唐津街道ウオーキングにも白杖は欠かせませんでした。まだ中心視力は矯正で0.5程度ありますので、何とか文字の読み書きは可能です。しかしながらいずれ視力もさらに低下し文字の読み書きも難しくなるかもしれません。そんな訳で少しでも見える内に、今回のウオーキングの記録を冊子にしておこうと、拙い文書で恥ずかしながら冊子を作りました。写真(これもデジカメのモニターが見えない中でのショット)は出来るだけカラーで印刷をと思い、写真集として前にまとめました。
全国の街道を歩かれた方の本やブログをみると、その街道周辺の神社、仏閣、史跡等をみて紹介されています。私達のウオーキングは、ただ歩くだけで精一杯で、とても街道を離れての探索をする余裕などありませんでしたが、それぞれの地で多くの感動がありました。昨年7月の猛暑の中リックを担ぎ自宅をスタート、わが町の旧唐津街道を郷愁を感じながら赤間宿へ、原町の町並に感動し、「太閤水」跡を見たときには、胸が踊り、畦町宿でのバンコに昔の田舎を思い出す。三代の太閤水で腹をこわしたのはシャレになりません。香椎からの道を間違えて松延さんに迷惑お掛けしました。天神の旧ダイエーショッパーズ付近は懐かしく歩きました。西新の商店街は昭和の時代の元気な商店街を見るようでした。
一方同じく旧街道沿いにある前原名店街通りの閑散さには、地方の商店街はいずこも同じだと感じ、元気が出ればと少し同情的になりました。姪浜の蒲鉾や「魚嘉」のピリ辛なんこつ天は噂通りの絶品でした。歴史で学んだ「元寇防塁」は初めてでした。JR筑肥線も結構無人駅が多いのに驚き、福岡都市圏と思えるところも、過疎化が進んでいるようだ。残しておいた戸畑〜若松・芦屋・岡垣を通る街道は普段から、よく通る道であるが、歩くのは初めてであった。最後にわが町に到着しての唐津街道最終ウオーキング後の「宿膳八幡屋満海の湯」での小雪の舞う露天風呂での癒しは、正に「至福のひととき」でありました。
このウオークを計画した時、1日10Kmを目安に3時間ほどのゆっくりとしたウオーキングで、到着地の食堂で食事とお酒を味わう事の勝手ルールを作り、ほぼそちらの方も達成。(いや、毎回呑みすぎました。)
そちらの方の多くの失敗談は番外編で記録しています。いずれ機会があれば紹介しようと思いますが、誰もあほくさくて読んではくれないでしょうね・・・。この唐津街道を完歩出来たのも、一緒に歩いて下さった、松延さん、三小田さん、それにサポーターとして、同行いただいた江口さん、ユキヒロ君、井上さん他サポート福岡の方々のお陰と感謝しております。最初ひとりでと思い立った唐津街道ウオークでしたが、おそらくひとりでは早い時期に挫折していたでしょう。特に松延さんとは、2日目の赤間宿から最後の芦屋、岡垣まで一緒にウオーキングしました。この「唐津街道を歩く」にも、寄稿文を寄せていただきました。松延さんはほぼ全盲に近く、書いて戴いた紀行文も音声ソフトを使っての編集です。松延さんをはじめ、今回の唐津街道ウオーキングにご一緒いただいた方がたにあらためて心から感謝申し上げます。
私は57歳で早期退職をして今年の9月で65歳を迎えます。今は(株)リューズという会社に週1度の割合で勤務し、又、日本網膜色素変性症協会(JRPS)で同じ病気の仲間と一緒に、治療法の確立や、QOLの向上を目指し活動しております。(株)リューズをはじめ、皆様の支援協力戴きながら障害にめげることなく元気で頑張っていこうと思う今日この頃です。
2012年3月
廣渡 憲敏
参考にさせていただいた書籍:島村利彦書「唐津街道を行く」弦書房
参考にさせていただいたブログ:歩人かっちゃん「唐津街道を歩く」