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 部長の唐津街道を行く

部長の「唐津街道を歩く」■■■ はしがき〜目次 ■■■

弊社の部長が近しい方へお渡ししようとまとめられた冊子「白杖を片手に…唐津街道を歩く」。
できあがった冊子を見せていただき、九州に住んでいながら知らなかった「唐津街道」そして
部長の珍道中?せっかくですのでご本人のご了解を得、ご紹介させていただくことにしました
そのまま掲載させていただきますので、ご容赦ください。

白杖を片手に.jpg

唐津街道を歩く.jpg

唐津街道 表紙.jpg

目次

はしがき …………………………………………………. 2 

【写真Ⅰ】若松〜芦屋〜岡垣〜赤間宿……………………. 3
【写真Ⅱ】赤間宿〜原町〜畦町〜青柳宿…………………. 4
【写真Ⅲ】青柳宿〜香椎〜呉服町〜姪浜…………………. 5
【写真Ⅳ】姪浜〜前原……………………………………… 6
【写真Ⅴ】前原〜深江〜鹿家 …………………………….. 7
【写真Ⅵ】鹿家〜浜崎〜唐津 …………………………….. 8


《紀行文》
【岡垣町〜赤間宿】 2011年7月14日 …………………. 9

【赤間宿〜畦町宿】 2011年7月28日 ………………….10

【畦町宿〜青柳宿】 2011年8月10日 ………………….11

【青柳宿〜香椎】 2011年8月10日 …………………….12

【香椎〜呉服町】 2011年9月13日 …………………….13

【中洲川端〜姪浜】 2011年9月27日 ………………….14

【姪浜〜周船寺】 2011年10月13日 …………………..16

【周船寺〜深江】 2011年10月25日 …………………..17

【深江〜鹿家】 2011年11月10日 ……………………..18

【鹿家〜唐津】 2011年11月25日 ……………………..19

【戸畑〜若松大鳥居】 2012年1月12日 ………………..20

【若松小敷〜芦屋〜岡垣】 2012年1月24日 …………..21

【寄稿】《唐津街道を歩きとおして》松延 太郎 ……………22

あとがき ………………………………………………….25

 

はしがき

旧唐津街道がわが町(遠賀郡岡垣町)の中に在ることを知ったのは、6年程前に同級生のH君が町報の「おかがき風土記」に掲載してからである。しかも、驚いたことに、私の小学校の時の通学道路は、正にこの旧唐津街道そのものであった。

以来いつか唐津街道を歩きたいと思ってはいたが、生来の意志の弱さもあり、思うばかりでなかなか実行出来なかった。平成23年6月に前立腺癌と診断され、精密検査の結果幸いにも他への転移は見られなかったものの、前立腺の癌は広い範囲にあり、当面、内分泌治療行う事になった。大した自覚症状もなく、運動は大いに結構との主治医の診断に、これを機にひとりで唐津街道のウオーキングの実行を思い立った。

丁度その時JRPS福岡県支部の「秋のハイキング」の予定地であった宗像市の「正助ふるさと村」の下見を幹事数名で7月14日に行うこととなり、集合場所がJR教育大前駅の唐津街道赤間宿入口であったため、町内の旧唐津街道を歩いて赤間宿まで行くことにしたのが歩き始めであった。

以来、猛暑の中でスタートした唐津街道ウオークもひとりではなく、毎回2人以上で月2回のウオーキングを行い、平成23年11月25日には唐津に到着。平成24年1月には、北九州市若松からスタート地点の岡垣町までのウオークを終え、初期の唐津街道であった北九州市戸畑から洞海湾を渡り、若松、芦屋、赤間へ行くコースをどうにか完歩した。総歩行距離は140Km程であるが、私にはその数倍の距離を歩いた気がする。

この年になって久々の達成感というものを感じる事が出来、パソコンに記録しておいたウオーキングの記録を冊子にまとめる事とした。編集にあたっては、弱視の方にも少しでも読みやすいようにと、文字ポイントを少し大きくして、行間も広くした。

2012年3月

「唐津街道を歩く」…■写真1〜4■

【写真1】若松〜芦屋〜岡垣〜赤間宿

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1.若松の溝口番所

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2.太閤水(若松区小敷)

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3.福岡藩焚石(石炭)會所跡

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4.筑前芦屋宿場溝口後

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5.氏森神社(遠賀郡岡垣町)

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6.山田道[旧唐津道](遠賀郡)

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7.旧街道からの赤鳥居(岡垣町) 

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8.城山峠(岡垣町〜宗像市)

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9.赤間宿入口(JR教育大前)

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10.「甲造り屋根」の家(赤間宿)

【写真2】赤間宿〜原町〜畦町〜靑柳宿

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11.赤間宿の勝屋酒造

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12.辻田橋の袂の道標

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13.原町の町並

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14.太閤水(福津市山の口)

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15.畦町にあるバンコ

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16.ならの木坂入口

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17.街道案内道標

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18.青柳宿入口にある為息庵

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19.青柳宿案内版

【写真3】靑柳宿〜香椎〜呉服町〜姪浜

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20.三代の太閤水

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21.放生会の箱崎宮

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22.九大病院東門付近

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23.石橋堂(昭和通へ)

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24.西郷南州隠家跡 (中央区天神)

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25.黒田邸別邸跡(中央区舞鶴)

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26.やな橋跡(中央区今川)

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27.金龍禅寺(中央区今川)

28金龍禅寺にある貝原益軒座像.jpg

28.金龍禅寺にある貝原益軒挫像

【写真4】姪浜〜前原

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29.住吉神社(西区姪浜)

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30.興徳寺橋袂の庚申塔

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31.元寇防塁跡(西区生の松原)

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32.生の松原の中の旧街道

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33.前原名店街の旧街道

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34.前原の人馬継所跡

34前原の人馬継所跡.jpg

35.前原の追分石碑

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36.法林寺(昔本陣の置かれた場所)

【写真5】前原〜深江〜鹿家

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37.追分石(二丈町上新川橋)

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38.松末稲荷(二丈町松末)

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39.大入の庚申塔(二条町大入)

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40.二条町福吉地区の旧街道

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41.大入公民館にある2基の石塔

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42.旧街道の杉並木(福吉)

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43.立花峠(福吉〜鹿家)

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44.愛宕社(立花峠頂上付近)

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45.JR筑肥線鹿家駅(無人駅)

【写真6】鹿家〜浜崎〜唐津

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46.福岡県・佐賀県の県境石

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47.包岩(自然の造形品)

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48.浜崎宿?の旧家

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49.虹の松原の旧街道

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50.虹の松原の国境

唐津城前まいづる橋で(松延さん・江口さん・廣渡).jpg

唐津城前まいづる橋で(松延さん・江口さん・廣渡)

【岡垣町から赤間宿】2011年7月14日(木曜日)

6時40分自宅を出発、一丁堤の鯉にえさをやり、いつものコースにて氏森神社(写真5以下番号のみ)で参拝お賽銭500円也。山田の集落から旧街道へでる。(6)矢作川の山田橋を渡り、山田小学校横から旧3号線を横断して、岡垣第一幼稚園、東部公民館の前を通り、前の居住地東海老津区方面へ進む。

スーパーにて飲料水とパンを購入して旧海老津本村の中を「報恩母の家」から赤鳥居まで進む、海老津本村中の様子がすっかり変わって、どの辺りか検討がつかない、ようやく旧3号線に面した一軒の朽ちた民家に昔を思い出す。JR鹿児島線を左に見ながら旧3号線を西へ進む。本来の街道は旧3号線からすぐ又、海老津村中の道を赤鳥居まで進むのだが、道の方向がわからず、そのまま旧3号線を歩く。(注:後日、赤鳥居(7)から逆コースを歩き旧街道のあることを確認した。)

赤鳥居前を抜け、城山峠(8)の勾配はあまり感じ無かったが、峠を越えるのに結構な時間がかかった気がする。道ばたには、車からのゴミの投棄が多くみられる。歩く途中で今年初めての蝉の声を耳にする。峠も越え車道は国道3号線と合流、車の音が急にうるさくなる。ゴルフ練習場前の信号を渡る、街道はここから城山方面に入り、教育大裏側のグランドまであるそうだが、今回パスしてそのまま教育大正門前を通り9時10分には、JR教育大前駅に到着する。

本日の歩行距離「正助ふるさと村」下見歩行共32,000歩約20Km

山田小学校横の旧唐津街道.jpg

山田小学校横の旧唐津街道

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海老津本村地区に残る旧街道

【赤間宿〜畦町宿】2011年7月28日(木曜日)

唐津街道原町通り.jpg

今回は、松延さん、三小田さんそして、サポーターの江口さん、三小田さんのヘルパーの佐藤さん(女性)の5人でのウオーキング。9時半赤間宿(9)出発、途中の道案内をサポーターの江口さんにお願いする。赤間宿の建築様式の特徴の「甲造り屋根」(10)を確認しながら出光佐三さんの生家前を通り、前回気がつかなかった勝屋酒造(11)の軒先の古い看板と杉玉を確認して赤間溝口で赤間宿終了。釣川にかかる辻田橋付近での畦町道への追分石は確認出来なかったが、反対方向の「此方鞍手郡山口道」の標識(12)は確認。(若松からの街道ルートは後に小倉〜黒崎の長崎街道から木屋瀬〜鞍手〜赤間宿へのルートになった様だ。)

ほぼ3号線と併行して原町まで進む、自由が丘付近から3号線の高架下を南西方面へ進む。ここでも江口さんの道案内にて、唐津街道の正しい道を進む事が出来た。ほぼ予定通り11時に原町入り口到着。JAの直売所にてトイレ休憩後、原町の町並へと進む。昔の面影を残す通り(13)に感動し、沢山カメラにおさめる。再度行きたい町である。

原町を過ぎ、大穂町へ、ここでは太閤橋を確認正式名は太穂橋とブログには紹介されていたが、川幅2m位の川で、地元の方でも太閤秀吉が渡ったと言い伝えの橋と知る方は少ないのではなかろうか?太閤橋を渡って直進、緩やかな坂道を上る、道を下ったところで、太閤水(14)※注1を確認。さていよいよ最終目的地畦町宿へ、西郷川にかかる畦町川を渡り畦町宿に入る。畦町宿の目当ての「バンコ」(15)※注2を江口さんが見つけてくれる。12時20分畦町宿を通過。
JRバス直方・福間線のバスに乗りJR福間駅へ。

赤間宿からの歩数15,500歩、約9,500m、


※注1:太閤水
朝鮮出兵の際、豊臣秀吉の軍政が博多、名護屋へ行く途中
ここで大休止をし、水を求め、ここの水で喉を潤したと言い伝えられています。

※注2:バンコ語源はポルトガル語。九州地方で腰掛け、ベンチの事を言う

【畦町宿〜青柳宿】2011年8月11日(木曜日)

三小田さん長男ユキヒロ君がガイドヘルパーとして同行。松延さん、三小田さん、ユキヒロ君と4人でのウオーキング、9時過ぎJR福間駅に全員集合。福間駅9時25分発直方行きJRバスに乗る。前回乗車した畦町(朝日が丘団地)で下車、そこからの青柳宿までのウオーキング、事前に調べておいた行程表を唯一の晴眼者ユキヒロ君に渡し、青柳宿までの誘導をお願いする。

ところが、事前調査のスタート地点を勘違いしておりバスを降りた位置関係が解らず近くの会社にて持参した地図を見せながら唐津街道の青柳までの道を尋ねる。ひとつ前のバス停(内殿)が記録していたスタート地点であった。20分程ロスし、以降すべて、ユキヒロ君に誘導を委ねることとした。内殿橋を渡り目指すならの木坂へ、入り口近くの奥さん曰わく「ここは歩ける道はないですよ。」すかさず「これがならの木坂ですか?」の問いに返答なし。入り口には通りを遮るように車が駐車してある。(16)通行困難を承知で山へ入る。ユキヒロ君を先頭に後ろをついて行く。途中倒れていた唐津街道の標識を見つけ木に立てかけ写真に収める。ほどなくならの木坂を出る。考えていたより楽なならの木坂通過であった。

多分唐津街道を歩く人も滅多にいないのではなかろうか?玄望峠にて右手は確かに視界は大きく広がっていたが、玄海灘までは見えず。程なく飯盛山入り口到着、右に愛宕神社あり、どちらもカメラに収めるだけで通過する。旦ノ原井戸を見落としたのは残念であった。古賀サービスエリアにて、トイレ休憩、持参の飲み物を軽食レストランのテーブルにて飲む。歩いて高速道の古賀サービスエリアに行ったのは初めてである。古賀サービスエリアを出てまもなくして、「旧筑前唐津街道」の石碑確認平成2年に作られた案内碑のようだ。青柳宿へ西方向をひたすら進む途中古賀SA近くにあった石碑と同様の「旧筑前唐津街道」の石碑(17)あり。左、青柳町半里とあり、青柳まであと2Kmである。途中薬師堂の石仏(18)をカメラに収める。

12時すぎ、青柳宿入り口(19)到着 畦町より15,000歩 9,700m

【青柳宿〜香椎】2011年8月30日(火曜日)

松延さんとJR古賀駅改札口待ち合わせ。JR古賀駅東口発9時21分の西鉄バスで宮前までそこから香椎までの二人でのオーキング。今回は視覚障害者二人だけのウオーキングにて車だけには注意をして時間を気にせずゆっくりとしたウオーキングにする。国道504号(旧唐津街道)を西へ歩く、途中いくつかの確認ポイントがあるも、三代まで直進で確認の必要なし。と言うより道路も狭く車も多いため確認の余裕なし、程なくすると、歩道を歩く二人の前に車が停車、「視覚障害者にとって本当に迷惑なドライバーだ」と話していると、運転手がその車から降りて私達の方へ歩み寄る、見た顔である。「江口さん!」と思わず声に出す。江口さんが仕事のついでに遠回りをして、様子を見に来てくれたのである。

江口さんに三代の太閤水までの道なりの説明と、励ましの言葉をもらい、道路を横断して道路右の歩道を直進する。暫くして緩やかな峠?を越えたところ、左手に三代の太閤水(20)発見。女性が車で水を汲みに来ていた。ここで暫く休憩する事に、次に水汲みに来たご夫婦に「今買ったばかりですからまだ冷たいですよと」とバナナをいただき早速口にする。冷たくておいしい。次に車で水汲みに来た男性から水に関するうんちくを聞く。「今、冷たい水が出ますよ」との話に、裏にある井戸水を空になった水筒に入れる。松延さんと二人で飲む、確かに先ほどの男性のうんちく通りここの水は軟水でまろやかな味である。10分程の休憩の間に3組の方が水汲みに、大人気であるようだ・・・・・。

本には三代公民館前交差点を右折して、次の小さな道を左折する道が旧唐津街道と書いてある。そのとおりに交差点を直進せず、右折する。次の道を左折して進むが行き止まり、仕方なく元の道まで引き返すことに、途中右側に細い農道があるのに気づく、この道かと右折してその道を進む。僅か100m程で504号と合流。504号線を千田交差点まで進む。千田交差点先の「夜泣き観音」は見つけることは出来ず残念。国道3号線と交差する原上の交差点まで来る。唐津街道はこの交差点を直進して、3号線に併行した細い道を左折とあるが、横断歩道も陸橋も見あたらない、仕方なく左折して大きな3号線を進む。このあたりは私も松延さんも昔車で通った道で、記憶にある場所である。

下原の交差点を左折して再び504号線へ、3号線から左折する車は結構多い道幅は狭いのに車は多いほとんど歩道らしきものはない、松延さんとは縦に並んで歩く事に、原上の交差点頃から少し腹の調子がおかしい、夜泣き観音を参らなかったせいか又太閤水の飲み過ぎか香椎下原小学区付近で少しやばくなるも、なんとか我慢して歩き続けると収まる、やばい、大丈夫の繰り返しで九産大九州高校の横を通りJRの跨線橋を渡り、香椎駅前の癒しの酒所到着。すぐトイレに駆け込んでセーフ。

歩行距離8,500m歩数約13,000歩

【香椎〜呉服町】2011年9月13日(火曜日)

松延さんと、西鉄香椎駅から予定通り9時30分前出発、ところが私の大きな勘違いで、旧唐津街道ではなく全く違う道歩いてしまった。西鉄香椎駅前から504号を西に歩きはじめ24号線と交差する信号を直進すべきところ右折してしまった。この交差点は車の往来が多く、きれいな十字路ではなく、方向がわかりにくい。とっさに思ったのが、確か3号線に突き当たればと思いひたすら3号線をめざす。(唐津街道と接する国道3号線とは3号線バイパスのことである。)

ほどなくして3号線の香椎参道口交差点へ出る。歩道橋の階段が長いので、エレベータを使い3号線横断する。私は間違いには気づかず「ここは3号線よりまだ海側の道が旧唐津街道です。」と松延さんに話し、3号線と並行した道を御幸公園近くで左折する。「この道が火の見下信号の交差点に出ますので、そこまでこの道を歩きます」と話すも、ほどなくして行き止まり、仕方なく3号線に戻り火の見坂信号まで行くことに。(いくら歩いても火の見坂信号はありません。)おそらく松延さんはおかしいと気づいておられたと思いますが、私の指示?通り3号線を一緒に歩く。まだ、私の思い込みはつづき、3号線バイパスの存在は頭にない。取りあえず松延さんご指摘通りJRと西鉄の千早駅を左にみて高架下をくぐり名島、松崎の住宅街を抜ける。高台の団地を越えた所で多々良川が見えてきた、私も漸く3号線と別の3号線バイパスの存在に気づく。

多々良川の川沿いを歩き、最初の橋、ますざき橋に出る。この橋が3号線バイパスに架かる橋である。途中まで行くも、ますざき橋は唐津街道の橋ではないため戻り上流の橋を渡ることに、ひとつ先の松崎橋を飛ばしさらに上の多々良橋まで行く。結局香椎宮前から約3.5kmの旧唐津街道を歩かず違った道を歩いた事に、多々良大橋を渡りはこざき宮を目指す。3号線バイパスから松島3丁目の交差点を右方向に延びる21号線を通るとあるが、松島3丁目交差点が解らない、仕方なく、松島公民館500mと矢印で示された道を右折して歩く。松島小学校を右にみて松島大橋を渡り九州大学まで来る。ここまで来れば松延さんにお任せ、それにしても九州大学のキャンパスは広い、後で地図で計測すると、塀の長さは1.1kmある。程なくして箱崎宮(21)に到着、丁度放生会の最中参拝して、2000円で縁起おはじきを買う。箱崎宮をあとに九大病院前(22)から千代から、石堂大橋(23)を渡り昭和通り、大博通りを横断して、今日の昼食場所「ハイカラ食堂」到着。

箱崎宮での寄り道を含め5時間の長いウオーキングでした。

ここでカウント21,400歩13.5km。

【中洲川端〜姪の浜】2011年9月27日(火曜日)

予定通り9時半に中洲川端駅を出発。今回も松延さんと二人でのウオーキング今回のコースは松延さんの庭みたいなもので心強い、中洲川端駅から昭和通りを西へと行程表に記載していたが、松延さんがさらに北の那珂川にかかる弁天橋の通りが旧街道との指摘、確かに昭和・明治通りは近代の名称である。そのまま天神まで直進する。日本銀行入口からダイエーショッパーズと旧松屋レディスをつなぐ渡り廊下の下の道を進む。昭和48年から数年ショッパーズ裏のビルに勤務先があったので非常に懐かしい。昭和通りと並行した北側の道路を直進、すぐに西郷隆盛が泊まったとされる宿があることを松延さんに教えてもらう。

少し行き過ぎたので引っ返し、西郷南州翁隠家の跡(24)石碑確認、支部のカラオケ部会が利用するアシベ横を通り、舞鶴へ福岡市消防局の角にある黒田家別邸跡碑(25)をカメラにおさめる。大手町から荒戸へ進む。昭和・明治通りへは行かずに並行した路地を進む。黒門川通りに出た、このあたりはしょっちゅう来ているので安心する。

唐人町商店街を抜け、左折557号を横断左手に菰川にかかるやな橋跡の石碑(26)と説明標識をカメラに収める。この辺りは松延さんが以前住まわれていた土地であった。松延さんの高校時代の通学道路であった。今川町から西新へ向かう途中、松延さんが「左手にコンニャク屋がないですか?」の声に古い建物の中からコンニャクの匂いあり.窓越しに「ここはコンニャク屋さんですか?」に中から「そうですと」女性の声に松延さん「ここに2年ほど前に還暦を迎えられた人はいませんか?」女性「還暦すぎた方と尋ねておられるが、あなたの事じゃない」と中の仕事場の男性に告げる。(回りくどい聴き方である)主人が出てくる。「久し振り松延たい、同級生の。」、主人松延さんとわかり「お前目が見えんごとなったと?」白杖を持って、遮光メガネの男性二人をみて、ちょっと戸惑い?コンニャクの仕込み中だった様で、窓越しの立ち話でコンニャク屋さんを後にする。

金龍寺(27)にて貝原益軒の墓と座像(28)をカメラに収める。西新商店街は昭和と平成が混じった活気ある商店街であった。都会の郊外の商店街を見るようで、北九州地区では、ほとんど見られなくなった風景であった。藤崎にて明治通りへ合流金屑川に架かる飛石橋を渡りまもなくして室見川に架かる室見橋を渡る。愛宕西先から右の旧道へ入る。暫くして明治通りに合流、姪の浜小学校の信号を右へ延びる旧道へ、程なく住吉神社前(29)から右折して、かまぼこ店魚嘉(うおか)到着。今日のウオーキングはここまで

歩数約1万6,000歩 歩行距離約10km

【姪の浜〜周船寺】2011年10月13日(木曜日)

今回は小郡の内野さん(OBRCメンバー)と松延さん、それに江口さんと私計4名にてのウオークである。9時半に姪の浜駅集合、前回の到着地魚嘉に行きそれぞれの好物の天ぷら、蒲鉾を出発前に購入住吉神社前から旧唐津街道西へ、程なくして明治通りへ合流、興徳寺橋の裾に庚申塔(こうしんとう)(30)を見つけカメラに収める。

名柄川の橋を渡り小戸へ、壱岐橋からまもなくして「生の松原」へ入る、すぐに松原の長い柵のちょっとの隙間から、松原へ入り、海岸へ出ると今日一番の目当てである【元寇防塁】(31)が50mほどに復元されていた。生の松原(32)の中の壱岐神社に参拝。松原をぬけると右手は海が広がり左手の筑肥線を並行して進む。今宿に入り牧のうどん今宿店から右手の旧道進む。今宿交差点は五叉路有り、地図に書いてあった202号線を西へ進むことにした、江口さんによると、どうも違うらしい202号線で九大学研都市組みと合流となっていたためそのまま202号線を行くことに、しばらくして私達の後ろから井上さんが走ってきた、喫茶中に私達を見つけ追っかけここで九大学研都市からの4名の方と合流。周船寺駅の近くで左折し昼食場所の周船寺商店街に昔からある「谷久」へ行く。この周船寺商店街の通りが、旧街道のようである。今日はここまで。                         

歩数14,200歩   歩行距離9,600m

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壱岐神社

今宿でみた旧家?.jpg

今宿でみた旧家?

【周船寺〜深江】2011年10月25日(火曜日)

西新駅にて松延さんと合流、周船寺8時着の電車に乗る。江口さんが今日の到着地深江に車を駐車して、上り電車にて周船寺まで来て下さり3名での周船寺から深江までのウオーキングとなる。9時過ぎ周船寺駅出発、周船寺商店街から202号線へ潤橋(うるおいばし)を渡り暫くすると右手に八幡宮あり、境内を横切る。202号線の上町中央の信号を右方へ進む、前原郵便局前を右斜めに進む、前原名店街(33)(旧宿場)に入る。3人の話し声が聞こえたのか、シャッターが開き、中から女性が「どちらから?」と言いながら中から前原宿を紹介したリーフレットを持って来られる。その方の家の斜め前に「人馬継所」(34)の表示版があった。すぐそばの楽器屋の看板には「御代官所」と書いてあった。案内所らしきところに入り無人であったがトイレを拝借、昔の前原商店街の写真が掲示してあり昔は大変賑わっていたようだ。

その先を右折して浄土宗法林寺(36)へこの辺りに本陣が置かれていたらしい。前原名店街通りに戻り、しばらく行くと大きな追分石(35)があった。文字はよく判らなかったが後で写真をみると「左加布里 唐津道 右 芥屋大門参道舷越港道二里」と刻まれている。東西600mの前原名店街を抜け202号に合流、筒井町西の信号から左斜めに進みJRの踏切横断、萩浦公民館から右へ美咲が丘駅の方へ、多久川を渡って川沿いを右折202号に突き当たり左折して、赤坂の信号を左折して加布里公民館前の信号の先を右斜めに進む、牧のうどんの工場の横を通る。すぐ左手に大きな庚申塔あり。

村中を進み古賀酒店前を右折、田んぼに囲まれた道を進む、羅漢川に架かる新川橋横の追分石(37)確認それには「左 加布里道 一七二十九間二尺東前原駅一里一六町一間三尺 西 深江駅 二十七町二六間三尺」とある。深江まであと3km程である。その先202号を横断して、松末の地区に入り松末稲荷(38)松末天満宮横を通り、202号線から今日の昼食場所「きららの湯」到着ここで江口さんと別れる。13時15分着

今日の歩数22,000歩 歩行距離15.5km

【深江〜鹿家】2011年11月10日(木曜日)

前日までは降水確率70%の雨の予想に決行は無理かと思えたが、朝には予報も雲マークへと変わり予定通り決行。博多からの地下鉄は西新駅で一旦下車しホームで松延さんと合流、西新発8時41分の西唐津行き電車に乗る。江口さんも先にその電車に乗っておられた、ここから3人揃っての行動となる。最初の予定では深江駅から少し戻り深江神社、鎮懐石八幡宮をみて、大入から福吉、鹿家までのウオーキングの予定だったが深江〜大入までの間を中抜きして、帰りに深江で途中下車して、きらら温泉を昼食場所として、深江神社、鎮懐石八幡宮に寄ることとした。

大入駅に着いて、「出口改札はどこと」江口さんに尋ねる「もう駅の外にでています」と、なんと大入駅は無人駅でした。大入駅北側の海岸通りの町中を西へ進む、大入漁協の入り口に庚申塔(39)あり、カメラに収める。しばらく進むと大入公民館の敷地に二基の石塔(41)あり。202号に出てしばらく行くと又庚申塔あり、この地区の昔の人の信仰の篤さか庚申塔が多い。買い物車を押して通っていた老婆に松延さんが庚申塔のこと尋ねる「判りません」とつれない返事、福吉付近で202号から右方向の道(旧街道)へ進むこの通りは民家が川向こうにあり(40)すべての家が川を渡った先に玄関ありこの通りもカメラに収める。街道はそのまま福中へと進むのだが井上組との合流時間まで30分近くあるため福吉駅にて待つことにした。福吉駅の待合所には利用者に寄贈されたと思われる本が沢山ありミニミニ図書館である。

井上グループと合流後、旧街道に戻り進むと202号線とJR筑肥線の西縄手第三踏切にでる。踏切を渡り山手を進む、この辺りの道は右は杉並木(42)である。向こうには二条浜玉道路、福吉川と中々の景色である。暫く歩くと立花峠(43)に出る、高低はさほどでもないが、おそらく今までの街道ウオークの中では一番高低差のある峠であろう。二条カントリーゴルフ場入り口から程なくして、右側に「愛宕神社」(44)がある。あとで調べるとここが立花峠の頂上とのことである。すぐの処に右に草道があり、そこを進む。(私は右の草道は気づかず)

小さな集落を通り、下の方に鹿家駅がみえてきた。旧街道は左に進むのだが、直進して202号から鹿家駅(45)へ到着。

ここでカウント。歩数15,000歩、歩行距離8.9k

【鹿家〜唐津】2011年11月25日(金曜日)

いよいよ今日は赤間宿からの唐津街道ウオーク最終日。いつもの様に地下鉄西新駅ホームで松延さんと合流、江口さんは深江から乗車。9時33分鹿家駅に着くここも無人駅である、姪浜から630円ということは、姪浜から30数キロであり、前回その距離まで来たことに驚きながら精算する。江口さんが駅裏から通じる旧街道を調べておられ、山間の集落を進む。暫くして、民家も人通りもない山中で、思わず「ひとりでは歩けない」とつぶやく202号線に合流、歩道もないところが多く車の量も多い、江口さんのサポートは助かる。福岡県と佐賀県の「県界標」(46)をカメラに収める、すぐ先の海側に丸い石を積んだ様な岩がある、「包石」(47)といい、自然に出来た造形品らしい。この辺りは波しぶきも荒く、時折202号線にまでしぶきがかかる。

江口さんによると本来の旧街道は202号線ではなく、筑肥線の向こうに街道があるとおしえてくれた。後で地図で確認すると、確かに「県界標」のあるところから左方向の道を示していた。浜玉支所前の信号(48)で井上さんグループ4名と合流。虹の松原(49)の松林を進む、虹の松原途中の国境石(50)をカメラに収め、創業明治のそのままの「松原おこし」購入。さらに松林を進む。ロイヤルホテルとシーサイドホテルの間に到着やっと虹の松原抜ける。それにしても長い松林であった。後で地図で距離確認すると4kmある。舞鶴橋を渡るとすぐに唐津城到着。唐津城バックに写真をとってもらう。街道ウオーク最初で最後の私のショット記念写真を撮ってもらう。

ここでカウント22,000歩約15km

【戸畑〜若松大鳥居】2012年1月12日(木曜日)

昨年11月に赤間宿から唐津までのウオーキングは終えたが、初期の唐津街道の若松〜芦屋〜岡垣への街道を2日かけて歩く事に。松延さんと9時過ぎにJRで戸畑まで行き、戸畑渡し場から若戸渡船にて若松まで行く。記憶では渡船に乗るのは高校の時以来36年振りである。乗客は私達共5名であった。若松渡し場のすぐそばに若松の洲口番所跡碑(1)ある。この番所は一時福岡藩が、人や品物の出入りを監視、管理するため設けたそうである。洞海湾沿いを若松駅方面へ向かうと、ごんぞう小屋あり、特に旧唐津街道とは関係ないが、見学する。JR若松駅の北側の山手の道を199号線に平行して歩く、修多羅〜宮前〜宮丸と進む。右手に「白山神社」がある。節分の飾り付けがあった。119号線に出て、二島のイオンショッピングセンターでトイレ休憩。 

鴨生田の信号から左折して江川大橋を渡り、すぐに右折して川沿いに入るも大きなクレーンがあり工事中で通行止め、仕方なくすぐ横の御開団地を通り工事区間でない江川沿いに出る。新払川大橋を渡って26号線へ出て左折して西へ進む。この26号線はよく通る道であるが、歩いたのは初めて?である。右手に福岡障害者職業訓練校あり。程なくして本日のゴール地点(昼食場所)スシロー到着。お腹が空いていたせいか新払川大橋からの26号線は思いの外距離が長く感じられた。

ここでカウント歩数21,500歩 歩行距離約13.8Km

ごんぞう小屋.jpg

ごんぞう小屋

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若松からの洞海湾

【若松小敷〜芦屋〜岡垣】2012年1月24日(火曜日)

芦屋宿場溝口跡石碑横にある一宇一石塔と猿田彦.jpg

芦屋宿場溝口跡碑横にある一宇一石塔と
猿田彦

JR折尾着9時23分の電車にて松延さんと駅のホーム待ち合わせ、折尾駅は残念ながら、バリアフリーはなく、障害者みは出札口までが遠い、予定のバスに間に合わず初めてタクシーを使う。小敷の太閤水(2)を今日の出発地とする。太閤水というバス停はあるが、太閤水はバス通りの向こう側である。その道が旧街道である。舗装されていない江川沿いの旧街道から浅川橋を渡り、向田交差点横断して江川下流に沿って山鹿へと進む。旧街道は途中の大君地区から右の山手に在るようだがそのまま江川沿いを進む。遠賀川の芦屋橋を渡り、すぐ右折したところの民家のそばに福岡藩焚石会所跡碑(3)がある。焚石とは石炭のことである。

さらに進み、蛭子神社を左折して進むと、筑前芦屋宿場溝口跡碑(4)がある。この辺りが芦屋宿のようだが宿場町の遺構らしきものは見当たらなかった。近くに遠賀郡役所跡碑があるので通り掛かりのの婦人に尋ねるも判らず、仕方なくパスする。その先、街道は芦屋小学校の先から現在の航空自衛隊芦屋基地の中を通っていたようだが、芦屋小前の交差点を左折して、495号線に出る。左手に芦屋競艇場があり、開催日のようであった。このあたりから旧道は右手の山手の方にあるが、そのまま495号を岡垣へと歩く。糠塚まで家内に車で迎えにきてもらい。最終のウオーキング終了。

ここでカウント 歩数22,200歩歩行距離約14Km

初期の唐津街道である、戸畑から若松をへて洞海湾に沿って、芦屋、赤間宿ルートの全行程のウォーキングが終了した。

「寄稿分」【唐津街道を歩きとおして】松延太郎

じりじりと真夏の太陽が照りつける2011年7月から小雪交じりの冷たい北風が容赦なく吹き付ける翌年1月まで11日をかけ、旧唐津街道徒歩の旅をしました。自転車、車、バス、船、鉄道、飛行機。私の60年余の人生の中で乗り物を利用した旅は数限りなく経験しました。しかし今回のような長距離の徒歩の旅は初めての経験でした。歩くことが容易でない視覚障がい者にとっては大きな自信になるとともに旅の楽しさをより深く認識させてくれた経験でもありました。終始この旅をリードしてくれたのは私と同じ目の難病患者で、患者団体の活動を通じ知り合った私より2学年年長の、飲み仲間の廣渡さんでした。昔街中ではぐれないようにと幼児が必死に母親のスカートの端を握り締めている光景を記憶しておられる方もおられると思います。私はさながらその幼児、母親が廣渡さんと後出のEさん、スカートがリュックと置き換えていただければ私の歩いている姿を想像していただけるでしょう。心から感謝申し上げます。

コンセプトは「無理をせずに歩いて程よく疲れ、湯があれば浸かって汗を流し、さっぱりしたところでその土地土地のうまいものを肴に好きなお酒をたしなみ、ほろ酔い気分でハッピーな一日を過ごす」というものでした。つまり、早く言えば酔っ払い環境の最適化とでも申せましょうか。

私どもにうってつけのこのような明確かつ強力なコンセプトで始めましたので、中途で挫折する不安はほとんどありませんでした。でも、二人ともれっきとした視覚障がい者です。とりあえず自力歩行ができるというものの、視野がほとんど欠け、数ヶ月前にはファミレスの出入り口で誤って転倒骨折の事故を経験したばかりの廣渡さんです。また、私といえば、ものの動く影を辛うじて認識できる程度の視覚で、歩き慣れた範囲での自力歩行がせいぜい。今回のような初めての場所では他人のガイドなしではとても歩けません。その二人がおよそ120kmの道のりを弥次喜多よろしく歩こうとするのですから傍から見ると少々無茶な計画にも写ったのだと思います。

そこにもってこいの助っ人が現れました。ここ数年、私のマラソンの伴走者をしてくれているEさんにこの計画のことを何かの折にお話したのだと思います。「自分も以前から唐津街道を歩きたいと思っていたので、この機会に仕事の段取りを付けできるだけ参加したい。」とのサポートのお話があったのでした。普段のマラソン練習でこの辺りの道路を走ってあり、自分の庭同然という感じでした。忙しい合間を縫って要所要所で参加していただき、ナビゲーター役を務めてくれました。改めてお礼申し上げます。

後半には筑肥線沿線にゆかりのある3人の方々にも参加していただき、とても賑やかな道中になりました。歩き終えての感想ですが、やはり車優先の道路だなという印象です。2〜3m幅の専用歩道が整備されている安全な箇所もありましたが、白線1本で歩道と車道を分離しているだけの歩道ではすぐ脇を通過する大型車両に幾度となく身の危険を感じさせられました。一方で、宗像や糸島などには200年前にタイムスリップしたかのような感覚にさせる、車両の往来のほとんどない山道が僅かではありますがまだ残っていました。時間持ちの高齢者がこれから益々増えていきます。今回私達が体験したような街道歩きが盛んになりそうな気配があります。体験型・滞在型観光を推奨している行政には車の排ガスや騒音に煩わされることなく、のんびりと安全に田舎道を歩けるような街道整備を期待したいものです。

今回歩いてみて長く住んでいるのに郷土の地理や歴史などについて知らないことばかりだということを改めて痛感させられました。馴染みのなかった芦屋町には今回初めて足跡を印すことができ、町のHPに掲載されているこの町の歴史を通読し、面白そうな町だなと思いました。乗り降りしたことのなかった鹿児島本線古賀駅、筑肥線の筑前深江駅、鹿家駅の改札もくぐることができました。歩いて感じ、持ち帰った「?(はてな)についてネットや録音図書で検索し、学び、知る楽しさ・喜びをちょっぴり味わうことができました。好奇心を持って歩けば私達の住んでいる北部九州は宝の山ではないかと思います。どきどきわくわくしながら「?(はてな)」」を追いかけた記憶が戻ってきます。

ここで一句。「ときめきは 昔異性で 今遺跡」「一辺が96メートルの大溝 糸島市・潤古屋敷遺跡 内側に地頭の屋敷跡か」「江戸装束で赤間宿再現 宗像で19日に祭り」「若戸大橋望み 五平太ばやし打ち初め」。

今まで何気なく聞き逃していた新聞の歴史や風習に関するローカル記事の見出しに耳が止まり、あの日に行ったあの土地のことだと愛着が湧き、いつしか本分にまで耳を通す習慣がついていました。最後に「お湯と旬の肴とお酒」。二度も訪ねた姪浜のかまぼこ屋「魚嘉」のピリ辛軟骨天美味しかったですね。筑前深江の「ラドン温泉 キララの湯」旬の野菜サラダと刺身そして地鶏の唐揚げ。お陰で酒が進み焼酎を2本も開けてしまいました。創業120年という虹ノ松原の「松原おこし」。最終日の廣渡さんの地元岡垣町の「八幡屋の満海の湯」。玄界灘からの冷たい風に一日晒され、冷え切った体を小雪舞う露天に沈めた瞬間。「ウーン」と思わず唸り声がもれました。

ここで一句。「湯煙の 昇る露天に 小雪舞う」(完)

あとがき

私は網膜色素変性症という眼病で、重度の視野狭窄です。車の運転は7年前に諦め、以来歩く事が苦にならない今でも、人の多い場所や知らない場所に行く時は白杖を持って行動します。今回の唐津街道ウオーキングにも白杖は欠かせませんでした。まだ中心視力は矯正で0.5程度ありますので、何とか文字の読み書きは可能です。しかしながらいずれ視力もさらに低下し文字の読み書きも難しくなるかもしれません。そんな訳で少しでも見える内に、今回のウオーキングの記録を冊子にしておこうと、拙い文書で恥ずかしながら冊子を作りました。写真(これもデジカメのモニターが見えない中でのショット)は出来るだけカラーで印刷をと思い、写真集として前にまとめました。

全国の街道を歩かれた方の本やブログをみると、その街道周辺の神社、仏閣、史跡等をみて紹介されています。私達のウオーキングは、ただ歩くだけで精一杯で、とても街道を離れての探索をする余裕などありませんでしたが、それぞれの地で多くの感動がありました。昨年7月の猛暑の中リックを担ぎ自宅をスタート、わが町の旧唐津街道を郷愁を感じながら赤間宿へ、原町の町並に感動し、「太閤水」跡を見たときには、胸が踊り、畦町宿でのバンコに昔の田舎を思い出す。三代の太閤水で腹をこわしたのはシャレになりません。香椎からの道を間違えて松延さんに迷惑お掛けしました。天神の旧ダイエーショッパーズ付近は懐かしく歩きました。西新の商店街は昭和の時代の元気な商店街を見るようでした。

一方同じく旧街道沿いにある前原名店街通りの閑散さには、地方の商店街はいずこも同じだと感じ、元気が出ればと少し同情的になりました。姪浜の蒲鉾や「魚嘉」のピリ辛なんこつ天は噂通りの絶品でした。歴史で学んだ「元寇防塁」は初めてでした。JR筑肥線も結構無人駅が多いのに驚き、福岡都市圏と思えるところも、過疎化が進んでいるようだ。残しておいた戸畑〜若松・芦屋・岡垣を通る街道は普段から、よく通る道であるが、歩くのは初めてであった。最後にわが町に到着しての唐津街道最終ウオーキング後の「宿膳八幡屋満海の湯」での小雪の舞う露天風呂での癒しは、正に「至福のひととき」でありました。

このウオークを計画した時、1日10Kmを目安に3時間ほどのゆっくりとしたウオーキングで、到着地の食堂で食事とお酒を味わう事の勝手ルールを作り、ほぼそちらの方も達成。(いや、毎回呑みすぎました。)

そちらの方の多くの失敗談は番外編で記録しています。いずれ機会があれば紹介しようと思いますが、誰もあほくさくて読んではくれないでしょうね・・・。この唐津街道を完歩出来たのも、一緒に歩いて下さった、松延さん、三小田さん、それにサポーターとして、同行いただいた江口さん、ユキヒロ君、井上さん他サポート福岡の方々のお陰と感謝しております。最初ひとりでと思い立った唐津街道ウオークでしたが、おそらくひとりでは早い時期に挫折していたでしょう。特に松延さんとは、2日目の赤間宿から最後の芦屋、岡垣まで一緒にウオーキングしました。この「唐津街道を歩く」にも、寄稿文を寄せていただきました。松延さんはほぼ全盲に近く、書いて戴いた紀行文も音声ソフトを使っての編集です。松延さんをはじめ、今回の唐津街道ウオーキングにご一緒いただいた方がたにあらためて心から感謝申し上げます。

私は57歳で早期退職をして今年の9月で65歳を迎えます。今は(株)リューズという会社に週1度の割合で勤務し、又、日本網膜色素変性症協会(JRPS)で同じ病気の仲間と一緒に、治療法の確立や、QOLの向上を目指し活動しております。(株)リューズをはじめ、皆様の支援協力戴きながら障害にめげることなく元気で頑張っていこうと思う今日この頃です。

2012年3月

廣渡 憲敏


参考にさせていただいた書籍:島村利彦書「唐津街道を行く」弦書房

参考にさせていただいたブログ:歩人かっちゃん「唐津街道を歩く」

http://www.jinriki.info/blog/kacchan.html